「今日は散歩に行かなくていいや」ペットにとっては1週間近くも閉じこもっていたのと同じ感覚

「今日は散歩に行かなくていいや」ペットにとっては1週間近くも閉じこもっていたのと同じ感覚

毎日、動物病院でどのくらい動物の死に直面するか、想像できますか? 来院数によって変わるでしょうが、人間の病院よりも死亡率は高いです。

動物は非常に危険な状況になってから来院することが多いからです。飼い主が判断を誤るケースもなくはないですが、多くは動物の本能に関係しています。動物は本能的に弱っている自分を見せません。サバンナに生きる野生動物を想像してみてください。力の弱い動物であればあるほど、弱っている自分を見せることが即、死につながると知っています。

ペットも同じ。どんなに具合が悪くても、元気なふりをします。それができなくなるほど弱ったとき、初めて飼い主が「元気がない」と認識します。だから、病院に来たときには手遅れとなってしまいがちです。

先日も1匹の犬が逝きました。外で飼われていた犬でまだ4歳。飼い主のショックは大きく「最期をみとれなかった」と悔やんでいました。

でも、動物はいつか死にます。それも突然、実にあっけなく。「最期の1日」も大切ですが、一緒に過ごした「4年間」の方がもっと大切なはずです。最期の1日を嘆くのではなく、飼い主と共に生きる時間が、ペットにとって最高の時間であってほしい。私はそう願っています。

問題なのは生きた時間の長さではなく、中身

犬や猫の寿命はせいぜい15年。ペットの1日は人間の5~6日に相当します。「今日は散歩に行かなくていいや」という1日があると、ペットにとっては1週間近くも閉じこもっていたのと同じ感覚です。飼い主が1~2カ月間手を抜くと、ペットは半年から1年ほったらかされたのと同じ。

一日一日を大切に、楽しい毎日を送ることができれば、ペットの生涯は「悔いのない生涯だった」といえるでしょう。問題なのは生きた時間の長さではなく、中身なのです。

私は、生後1年未満のペットを連れた人に「写真をいっぱい撮ってあげてください」と声を掛けます。生後間もない動物の成長は著しく、短い生涯で最も成長する時期。この時期を逃さず、時間をかけて触れ合うことで、コミュニケーションが深まり、ペットの社会性も身に付きます。

飼い主には「雄は太郎、雌は花子」とペットの名前を決めている人、歴代のペットがずっと同じ名前という人もいますが、どの命も唯一無二の存在。できれば、新しい命には新しい名前を授けてあげてください。

ペットの一生は駆け足で過ぎていきます。その貴重な日々を、どうか最期の瞬間に悔やまないよう、命を慈しみ、その存在に感謝しながら、大切に過ごしてほしい。あなたのペットは毎日、幸せな顔をしていますか?

参照元:Yahoo!ニュース

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